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ブーレーズの死・SMAPの解散

作曲家としてのピエール・ブーレーズ(1925-2016)は、哲学者、社会学者のテオドール・アドルノ(1903-1969)も評価していました。
アドルノを読みふけっていたのはかなり前なのでどのように評していたかは全然覚えていないのですが、確か『美の理論』と言う本で、ベートーヴェンやストラヴィンスキー、シェーンベルクなどと同じ文脈の中に、ブーレーズのル・マルトー・サン・メートルのことが書いてあったと思います。
「美の理論」が書かれていたのは1960年代後半で、ブーレーズが生まれたのが1925年ですから40代ですでに音楽史に直結していたんですね。最近の作曲家にしては若くして大成しました。
ですが、今後アドルノが忘れ去られる事もありえるわけで、現にアドルノも分類される大陸哲学自体の地位がかなり終わってる感じなので、それを土台に活躍していたブーレーズもヤバくなってるわけです。
最近の音楽史の状況は、私は疎くて、スペクトル楽派がもう使い古されてしまって、再びロマン派回帰的な風潮になってる感じかなーとしか知りませんが、もうほとんどに歴史的・文化的文脈から外れちゃってるんじゃないかな、と思います。そして、その終止符としてブーレーズの死が来てしまったのかなと。

タイトルにSMAPの解散を入れたのは聖/俗の二項対立を表したのではなく、現代の音楽界では似たような重さの事柄になってしまったな、という意味合いですな。
この間、アマゾンプライムが定額聴き放題サービスに参入しましたが、その脈絡の中でこの事柄があるのか、あるいはこれを出発点としてまた新しい方向に音楽が行くのか、あるいは全く関係無いのかw、いろいろ気になるところです。





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オーディオとの向き合い方

前回の記事のタイトルが投げっぱなしな感じなので、今日はそれを回収しつつ、今回のタイトルに結び付けたいと思います。
例によって、あまり御託を並べても誰も読んでくれなくなるので手短に。

原音再生が当たり前のように最終目的とされていますが、そもそも原音とは何なんでしょうか。
ストラディバリウスは原音で現代ヴァイオリンは原音でない? あるいはフォルテピアノは原音でモダンピアノは違うのでしょうか。オリジナル楽器は原音でしょうか。両翼配置は原音じゃない?
もしくはシベリウスのフィンランディアはフィンランドで聴いてこそのものでしょうか? ベートーヴェンの田園は絶対音楽だからどこでもいいとか? クセナキスのペルセポリスとかどうなんでしょうね。
たとえば手近なところで紅白歌合戦を例にしてみると、あの音楽体験のリアリティはその年の12月31日のテレビの前によって得られるもので、NHKの会場が本物だと思う人は偏屈でしょう。

まあ、音楽のリアリティなんてのは人それぞれだと思います。
今はインターネットのおかげで言論というものの価値が暴落してるんで、規範的なセンスと言ったものも希薄になっています。評論家の権威も消えつつあるのが現状です。
そういった環境の中、できるだけ内輪内輪のコミュニケーションを避け、公明正大に明快な言論を発していくべきであるというのが、私の考えるオーディオとの良い向き合い方だと思います。

音楽のリアリティ

某高級スピーカーを一早く納品された方のブログを読んでいたら、こんな書き込みを見つけました。

>ベテランの大先輩方からは、「オーディオ以前に、音楽との向き合い方から勉強してください。今は、全くダメです」と、厳しいアドバイスをいただいております。

ちょっと気になったので、ブログネタにしてみようかなと。
ざっとですが個人的見解です。

■論点1
ベテランの大先輩というのはただの偏屈な頑固爺さんなのかもしれない。
→電車内でマンガを読んでいる自社の社員を目撃し、解雇したとか言う新聞投書が最近ありましたが、その手あいの人の妄言説。

■論点2
ブログ主の方の音楽との向き合い方が実際オカシイのかもしれない。
→もし佐村河内守の大ファンで追っかけをしていた、とかだったら確かに音楽との向き合い方を勉強しろと言いたくなる気持ちもわかる気がします。

■論点3
そもそも正しい音楽との向き合い方というものが社会通念として存在するのか。
→そう言った考え方は人文学的文脈で言うところのニーチェの「神は死んだ」から、アドルノの「アウシュビッツ以後、詩を書くことは野蛮である」、「「大きな物語」の終焉」、そしてインターネットという新しい批評空間の誕生とともに、次第に消えて行っているものだと思います。(もっと遡るとバッハやベートーヴェンの出現とか、他にもいろんな節目はあったでしょうね。)

■論点4
単なる妬みじゃないのか。
→本人に訊いてみないとわかりません……

■論点5
そう言った言動は高慢か。
→むしろ、自分よりずっと経験のある人の言葉を傍から口出ししている私こそ高慢です。

ですが今の時代、老若男女問わず音楽離れがすすんでいるのに向き合い方を勉強しないといけないというのは酷な話ですぜ。

昨日、新・映像の世紀を見ました

12月10日の記事のYouTubeの埋め込みでページが重くなってるので、適当に投稿数を稼ぎたいのですが、ここ数日ただ聴くか、FW168HRの箱のデザインを考えていただけなので特記することもありません。
なので日頃思っている愚痴でも書きます。

秋田の名物といえば、きりたんぽですが、あれ都内のスーパーなんかだとセリが売っていないのにきりたんぽだけ売っていることがよくあります。
あんなの論外ですよ。きりたんぽ鍋を食わずしてきりたんぽを知った気になっている秋田県外民が多いこと多いこと。おまけに寄せ鍋にきりたんぽを入れればきりたんぽ鍋になると思っている人までいる気がします。
きりたんぽ鍋は、きりたんぽ、セリ、鶏もも、舞茸、ごぼう、糸こんにゃく、長ネギ、これらが揃ってないと成り立たないのです。

あと、スーパーで思い出したんですけど、エシャレット問題。
フランス料理や東南アジア料理で使われるエシャロット(シャロット)と、日本のスーパーで売られてるエシャレットは全く違う食べ物です。
農林水産省が告知していたりします。早摘みのラッキョウにエシャレットとかオシャレットとか商品名を付けて、酷いものではフランスの国旗の色のパッケージに入れて、さも高級食材のように販売していたりします。
以前、日本にも進出していたフランスのスーパー、カルフールでエシャレットがエシャロットという表記で売られていた時には、さすがに店員に一言いいました。

ちなみに私、以前はコックをしていましたので食に関しては厳しいです。

この記事を書いている時の私の心象風景。
p-hitler-009.jpg

今度、ブログネタが無い時なんかは得意料理のレシピとか書こうかな。

続きを読む

とりあえず初めてみました

はじめまして、秋田でオーディオを趣味としております、Abbe Gelinekともうします。あべでもいいです。
Abbe Gelinekの由来はベートーヴェンとピアノの勝負で負けて「彼は人間じゃない。彼は悪魔だ」という有名な捨て台詞を残したヨーゼフ・アッベ・ゲリネクから取ってます。

何故いまさらブログなのかという点については、まあオーディオ趣味の仲間を増やしたいということでしょうか。
続くかわかりません。普段、日記をつける性格ではないし、写真を撮るのとかあまり好きではないので……
できれば、オーディオ関係のネタをメインに、音楽とか雑感など書いていければと。

プロフィール

Abbe Gelinek

Author:Abbe Gelinek
DAC:HEGEL HD25
AMP:HEGEL H80S
SP:KEF Reference 1/TangBand W8-1808 BS/Fostex T90A+Dayton AMT2-4+Fostex FW168HR BS+Fostex CW250A/
CDP:TEAC PD-H600
HPA:nuforce iconHDP
HP:AKG K701/AKG K601/SENNHEISER HD650
POWER:KOJO TECHNOLOGYAray MKII

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