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VR技術/ピュアオーディオ

最近、巷で噂のVR(Virtual Reality)。
バーチャルボーイなんかと同じようなもんかとおもいきや
・センサーで頭の向きを検知
・視界を全部覆う広い視野角
・3D立体視
と言う、ちょっと前の「仮想現実」という定義を乗り越えた、もう他の世界に入り込むというレベルになるらしいです。
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細かい話は自分で調べて下さいw

気になるのはオーディオがどう関わるのかです。
VRは頭に固定される物なので基本はヘッドホンになりますが、座りながら操作するゲームが多いようなので従来のサラウンドシステムでもできそうな感じです。上や下からくる音は11.2chとかでも難しそうですが、サラウンドヘッドホンなら何とかなるんでしょうか? サラウンドヘッドホンを聴いたことがないのでその辺は分かりませんが、将来的には例えば手に取る物から音が出ている、と言うようなことも再現もできなければなりませんね。

技術的な話が私は話せませんので、ちょっと概念的な話になるのですが、完全な立体音響が再現できるようになった場合、音楽鑑賞・オーディオというものはどうなってしまうのか、少し気が早いですが考えてみましょう。
今まで、例えばオーケストラなら、大きなホールにいくつかマイクを並べて、オーケストラを一個として録音し、観客席から聴くと言うような環境だったものが、VRでは楽器一つ一つが録音され、楽団の演奏している中を歩いて聴いて回ると言うような事もできるようになるということになります。そうなったら指揮者ゲームとか出るんでしょうね。面白そうです。(本当の指揮者と言うのは奏者一人一人の内面まで指揮するようなものなので、そこは流石に技術的壁がまたあるのでしょうけど。)

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まあ、指揮者ゲームの話は置いといて、完全な立体音響が再現されると、早い話、真面目に面と向かって鑑賞される音楽と、環境音楽の分離が激しくなり、さらにまた、立体音響とステレオの分離も激しくなるんじゃないでしょうか。それによって、生演奏でもヴァーチャル演奏でもない、ピュアオーディオの独特の価値が生まれるのではないかと……(って今とさほど変わらない?)
願わくは、ピュアオーディオ演奏会みたいなのが開かれるようになって、市井でも今のインディーズバンド的な感覚でオーディオシステムを組むようなそんな光景になってないかなーとか妄想してみました。

なんか完全に宗教化してピュアなんて言い出そうものなら後ろ指さされるような、そんなバッドエンドもありそうな……
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クラシック音楽のレズビアニズム

コミュニケーションと言うものの方法・様式が数十年前と様変わりした昨今、エロスもまた、やるものから見るものへと変わりつつあるのを何かと感じる今日この頃、皆さんいかがお過ごしですか。

さて、今回はテコ入れ企画でエロスを導入してみたいと思います。
先に述べた通り、見るものになったエロスは、端的にBLやら百合と言った文化を醸成しつつあります。
ホモセクシャルは残念ながら(?)守備範囲外なんで、今回はレズビアニズムを紹介したいと思います。

レズビアン(バイセクシャル)の作曲家リストです。例のごとく私の調べた範囲内なのであしからず。
(■にサンプル曲をリンクしておきました)

エセル・スマイス(1858~1944)
ロマン派後期の音楽。オペラも作曲していて本格派です。
アデーラ・マディソン(1862~1929)
既婚者。この人も後期ロマン派の作曲家。録音されて聴けるものはピアノ五重奏曲くらいなのですがわりと佳曲です。
ルース・アンダーソン(1928~)
電子音楽。聴ける作品が少なかったのですが、ノイズミュージックが主かと。
ポーリン・オリヴェロス(1932~)
アメリカの電子音楽界でかなり貢献した人。ノイズミュージックっぽいです。
アニア・ロックウッド(1939~)
大自然の音を録音して編集したミュージック・コンクレート作品がメイン。
メレディス・モンク(1942~)
アヴァンギャルドな声楽曲で有名な人。オノ・ヨーコの音楽作品に似てます。
ポーラ・M・キムパー(1956~)
試聴のみで買う勇気が出なかった。フォークオペラを何曲か作っているようで、ヒーリングミュージックっぽいのもあるようです。
イヴ・ベグラリアン(1958~)
ミニマル・ミュージックっぽい曲が多く、センスもいい。
ジェニファー・ヒグドン(1962~)
ネオロマンで聴きやすい曲も多いです。ピューリッツァー賞やグラミー賞を取ってる実力派。オススメ。
レズリー・バーバー(1968~)
映画音楽がメイン。ミニマルっぽいのがあったりフュージョンっぽいのがあったり。一番聴きやすいけど若干安っぽいサウンド。

この他にも、アメリカンレズビアンコンポーザーズというCDの中で何人かレズビアンの作曲家が確認できますが、本業がパフォーマンスアートだったり、寡作だったりで作曲家としての活動をつかむことは困難でした。

そして、レズビアンの語源であるレスボスのサッポーに関する音楽も紹介します。
こちらにCDリストがあります。
しかしながら、このリストの大半は詩人としてのサッポーを描いたものであるようです。
詳しくは個々の作品の解説を読まなくてはいけないのですが残念ながらほとんどマイナー楽曲で、レアディスク化しているものが多く、英語のウィキペディアなどで判別するしかありませんでした。


まあ、ここまでは文献として読んでいただければ。
ここからが本番です。
耽美なレズビアニズムを感じるクラシック音楽個人的ベスト3

3位:R.シュトラウス「薔薇の騎士」

一見なんでもない若い男女と年増おばはんとの三角関係を描いてるだけに見えますが、実は歌ってるのは三人ともソプラノです。お耽美ですなあ。

2位:モーツァルト「すみれ」Das Veilchen

短い歌曲ですがストーリーがあります。スミレの花が歩いてくる少女の姿を見つけて彼女に摘まれたいと望むものの、その少女に踏み付けられてしまう。でも、スミレは幸せだった、というもの。
"バイセクシャル女性やレズビアンはスミレを同性愛的な感情の相手に渡していたとされる。古代ギリシャの女性詩人サッポーは詩の中で、自身と恋人がスミレの花輪を被る描写を残している。"wikipedia「LGBTQのシンボル」より
若干、こじつけ感はある。

1位:フォーレ「この世ではすべての魂が」 Puisqu'ici-bas toute âme

女声のデュエットは数多あれど、纏綿たるソプラノ同士の、男女の恋愛を描かないロマン派の楽曲でこれの右に出るものはないかと。

この分野は妄想力が大切なので探すのはけっこう苦労します。
実際に明示的にキャラ設定としてレズビアンが描かれるのは、アルバン・ベルクのオペラ「ルル」が音楽史上初じゃないかと思います(※)。1937年発表の曲ですがそこで描かれているレズビアンはある種、異常性愛者としてで、まだまだセクシャルマイノリティーへの配慮無しの時代だったりします。1937年でそれですから、そこを遡ってレズビアンの音楽を探すというのには妄想で補完するしか無いわけです。
妄想の入り込む余地が多い歌曲のジャンルでは恐らくもっといい感じの曲がたくさんあると思います。皆さんも探してみてください。

この曲はいいよ!と言うのがございましたら是非コメント下さい。

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オーディオ論

最近、思想ネタに偏ってるのでオーディオネタを入れたいところなのですが、なにせ金が無いのでオーディオをいじることもできず、特に披露できるものがないので、思想ネタをオーディオ論に絡めようかなと。(前と同じ)


実在論への転換の新しさとして言えるのは、ポストモダニズムにあった「グローバリゼーションで情報が即座に手に入るようになったぜ」という基本スタンスが、プトレマイオス的転回(メイヤスーの用語)によって「モノ自体にグローバリゼーションが内包されている」というような形になったことにあると思います。

個人的な話ですが、最近Windows7から10にして、OS自体に最初から広告やらスパイウェアwがプリインストールされているというスタイルに驚きまして、そういうのが「モノ自体にグローバリゼーションが内包されている」状態なのかなとしっくり来たわけです。そして定額聴き放題サービスですね。好きなジャンルを適当に選ぶだけで、そのジャンルの名曲から隠れた佳曲、アーティストの情報まで手に入ると言うシロモノです。ウィキペディアに載っているのだけでも今、30超もの業者が競っています。オーディオ機器自体にも最初からその機能が備わっているものも続々と出ているようです。その辺りの情報に関しましては、逆木一さんのブログ「言の葉の穴」で詳しく書かれていますのでご参照下さい。
現状、まだオーディオマニア、もしくは音楽の特定のジャンルのマニアのニーズを完全に網羅しているとは言えないようなのですが、これこそ「モノ自体にグローバリゼーションが内包されている」状態なのかなと。

一応、割と昔からアクターネットワーク理論という社会学の用語があり、モノ自体が社会の中のアクター(俳優・行為者)としてネットワークを持っていると言う考え方はあったんですが、まあ当たり前過ぎて、ポストモダニズムのヴァーチャルリアリティー的世界観を打ち破れなかったようです。モノ自体に無限の可能性を持たせるという極論によってようやく人間中心の考え方が打ち破られたように思えます。

で、オーディオ論に繋ぎたいのですが、まあ、↓2016/02/11の記事のツイッター以下の寝言みたいな文言は、よく考えたら「全てのオーディオはすでに作られている」という事にもなるわけで、そうなるとヴィンテージオーディオが最強って話になるんですが、新型のスピーカーを使ってる私としては立場がないです。
そこで新しい定義?を
「音楽はお前らの中にある。音を出すのはやっぱスピーカーだぜ」


……そろそろ思想関係は辛くなってきたな。

思弁的実在論に関係の深い哲学者、レイ・ブラシエのノイズミュージックです。

急進的オーディオ論

新しい唯物論

全てのメディアは最初から繋がっている

全ての音楽はすでに作曲し終わっている

あとは音を出すだけ

オーディオ最強\(^o^)/


真のオーディオの時代がやってきた感

有限性の後で?


今流行の哲学、思弁的実在論の中心的人物、カンタン・メイヤスーの主著の日本語訳が発売されてます。
けっこう売れているみたいです。

HEGELのアンプやDACを使う者はG.W.F.ヘーゲルの著書を読んでいなければならないというルールがありますので(嘘)、私も当然、哲学を齧っています。ここのところは脳が退化しておりまして、読んでもあまり内容が入って来ず、マラブーの「わたしたちの脳をどうするか」以来、パッタリと現代哲学から離れておりました。
この間、ブログのネタ探しに本屋に行ったところ、思弁的実在論が流行ってるよという評をみまして、本もつい最近出版されたようなので、久々に買ってみっかなと↑の本を手にしました。

思弁的実在論はカンタンに言うと、人間中心主義、主観主義的な哲学をもう一回、唯物論的に見直そうよ的な感じです。「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」的なカント以来の伝統(図1)を、事実性、偶然性というキーワードを用いて「お前がそう思わなくても事実そうなんだ。全部偶然だけど」と言った感じに言い換えています(たぶん)。偶然性がどうして実在性を保証することになるんだろうっていうのは、なんか科学哲学とコミットしてるみたいなんですがそっち方面に疎い私にはよくわかりませんw
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(図1。相関主義)

ブログネタにしたかったので、社会論とかが出てきたら、オーディオや音楽に絡めてやろうとか思ってましたが、割と純哲学的な本でしたw
偶然性というと、ジョン・ケージの偶然性の音楽を思い浮かべますが、ああいったのはメイヤスーの言う完全に必然性のないハイパーカオスな偶然性とはまた違うようですね。実在論の思想のイメージとして近いのは、人間がいなくなった宇宙でも鳴り続けるような音楽、ケージのオルガン2/ASLSPとかでしょうか。でもアレも一応演奏時間が639年となってるので違うのかな?

とりあえずまだ今日サラッと読んだだけなのでもう少し熟読しようかと思います。

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プロフィール

あべ

Author:あべ
DDC:MUTEC MC3+USB
AMP:hypex FA253(x2)+hypex FA502(x2)
SP:RAAL 70-10DAM+VOLT VM527+VOLT BM165.1(x2) / Fostex T90A+Fostex H325+JBL LE85+JBL 2231A+JBL 2231H / Dayton audio ND16FA-6(x8)+Wavecor FR055WA02(x9)/
SW:Dayton Audio LS12-44(2ch)+morel UW1058(x2,mono)
CDP:TEAC PD-H600
HPA:nuforce iconHDP
HP:AKG K601
POWER:KOJO TECHNOLOGYAray MKII

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