スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

KEF Reference1 レビュー2

グーグル画像でReference1を検索すると、私の部屋の画像が18番目くらいに出てきます。
しかもベッドがある時代の画像です。
あのセッティングはもう過去のもの!
検索にちゃんと今の画像が出るようにKEF REFERENCE1を再レビューしたいと思いますw
IMG_5550.jpg
しかしながらあの当時(4ヶ月前)とは殆どオーディオ経験値は変わっていません。(←ウソでした!Dynaudioの凄いヤツ聴いてました……別次元すぎたのかぜんぜん思い出せなかったorz追記)
この間、アルファペックスさんで804D3の試聴会に行きたかったんですけど、どうしても仕事の事情で行けなかったのが無念です。
なので、私の自作スピーカーとの比較からなんとなくイメージを掴んでいただくという方法で……
IMG_5550.jpg
まず前回のレビューです。
強調のない解像度によるクリアな音像。押し出し・拡がりも自然な、ニュートラルな音場感。そして大きな筐体がもたらす適度な低音。まさにReference(参照)と呼ぶにふさわしいスピーカーだと思います。モニターな音ともちょっと違い、硬さのないクリアさが楽器をリアルに表現します。
これは相変わらずです。
IMG_5550.jpg
写真のReference1の上に見える自作のDayton AMT2-4+Fostex FW168HR+Fostex CW250A。これはツイーターを逆相でつないでいて、尚且つ壁際に設置しているせいか物凄い奥行き、広がりのある音場感・定位で鳴ります。(TWの逆相繋ぎはヤマハのセンモニでも有名ですね)クロスオーバーのつながり具合が完璧でないものの、部屋全体に音が鳴るのに対し、KEF Reference1はスピーカーの間でカッチリとした定位で鳴ります。
左にあるFE103-Solダブルのバックロードバスレフは、フルレンジとスーパーツイーターを正相で繋いでます。ツイーターは殆ど補助であまり鳴っていないので、フルレンジ特有の音が前に出てくる感じは失われていません。KEF Reference1と比べるとReference1は自然な距離感に聴こえます。FE103-Solは高音に特徴のあるユニットなので女性ボーカルモノなんかはたまにSolダブルで聴いたりします。
IMG_5550.jpg
使用機器はPC→HEGEL HD25(DAC)→HEGEL H80S(プリメイン)→AR-50R(スピーカーセレクター)→Reference1 or FE103-sol+T90Aバックロードバスレフ or DaytonAMT2-4+FW168HR+CW250A
スポンサーサイト

人類史の後でスピーカーは存在しない。

私は電話が苦手です。
そもそも人と会って話すのも苦手な方ですが、電話となるともう次元が違いますね。とたんに頭が回らなくなって言葉が出てこなくなります。電話嫌いから携帯も持つのも嫌で、できるかぎり避けていました。お陰でスマホとかもどういう装置なのかいまいちよく分かりませんw

いきなりどうしてそのような告白をしたのかというと、そうです、電話の受話器こそがスピーカーの始祖なんですね。御存知、グラハム・ベルの1876年の発明です。(定義を下げるとモールス信号の音響器や、蓄音機の拡声部、伝声管、聴診器、補聴器、メガホン、チャイムなどがあるようです。)
電話嫌いなのにスピーカー好きというのはおかしいのではないかと言う話ですが、そもそも道具としてスピーカーと電話は違うから関係ないのではないか、とも思われます。

電話は苦手
スカイプはまあまあ苦手
スピーカーは好き
ヘッドホンはまあまあ好き
音楽は好き
レコードはまあまあ好き
オーディオは好き
PCオーディオは好き
生演奏はまあまあ好き
家でライブ映像を見るのは好き

好き嫌いを細かく仕分けてみて気づいたのですが、私はCD時代より今のPCオーディオの時のほうが気持ちよくたくさんの音楽を聴けてる気がするということです。
何がいいたいかというと、音楽の聴くスタイルは日々、技術によって変わっていて、同じ音楽を聴くという行為でも人によって好きなスタイルは変わってくるんだなあ、と。
ですので、今それほどオーディオが好きでない人も、新しい聴き方、スタイルを試すうちにオーディオに興味を持ってくる可能性があるということです。
みなさん、いろいろ試しましょう。


話は戻りますが、現代のスピーカーの話をするのならやはり、パワーとプリとが分かれているように、通信機器ともレコードとも分けて考えるべきでしょう。そうした場合スピーカーの単純な機能としては、電気信号を音に変換することですね。

こういった葉っぱがスピーカーになると言う事例があるようですが、この場合もラジオの電波塔ありきなので、スピーカー単体が鳴っているとは言えません。
前回の投稿の『人類史の後で、スピーカーについて語ることは崇高であるか』というタイトルは、アウシュヴィッツと3.11との絡みで無理やり付けた感じですが、この荘厳な問題は成立し得ないと結論づけてよいでしょう。

人類史の後で、スピーカーについて語ることは崇高であるか。

「アウシュヴィッツの後で、詩を書くことは野蛮である」
このアドルノのテーゼは、全てのロマン主義の終焉を宣言した言葉として、ニーチェの「神は死んだ」並に重要なものであり、芸術に接する皆々様方にはそれはもう自明の事であると、アドルニアン(今作った造語。アドルノ+ian)の私は信じてやみませんw

カンタンに言うと、アウシュヴィッツという人類史上類を見ない悲劇を前にして、詩とかフィクションを書くのは不謹慎であるよと言うような言葉です。歴史上他にも大虐殺事件は起こっているのですが、文化・文明のある種のピークにあったあの時のあの場所のあの出来事は他のものとは性質が若干異なっております。
この宣言のあと、欧米ではロマン主義的な芸術作品はパタリと姿を消す様になります。(まあそれ以前からロマン主義は終わっていたという話もあるのですが。)そしてこの言葉は、奇しくもアドルノの誕生日と同じ日に起きた9.11アメリカ同時多発テロ事件で、再び人々の意識にあがりました。「9.11の後、全てのアートは瓦礫である」とか「9.11の後で、スペクタクルを撮ることは野蛮である」そんなテーゼを誰がしか思っていたのではないでしょうか。デリダも、9.11の直後に行われたアドルノ賞記念講演で触れていました。

では、少し安直かと思われるかもしれませんが「3.11の後で、何をすることがどうなのか」。単に似たような日にちに偶然に起きた自然災害なのですが、日本人ならば連想してしまうでしょう。

私は、御存知の通り東北は秋田に居るのですが、3.11では震度5弱という比較的軽めの揺れで、2日ほど停電になっただけでほぼ難を逃れました。横浜に住んでいる親戚が帰宅難民になりかけたくらいです。そんな私が、3.11についてリアルな言説をできようはずもなく、ざっと俯瞰で見る程度のことしかできません……。(ちょっとした問題提起くらいに思って下さいまし)


「3.11の後で、サブカルを論じるのは不謹慎である」
それまで、サブカル一色だった評論界が、津波や原発問題で一気に流されちゃった気がします。もしかしたら哲学界周辺も津波・原発問題の影響で、思弁的実在論とかへの反応が遅れたのかもしれませんね。


「3.11の後で、放射能を気にするのはキチガイである(ということになっている)」
The situation is under control.


話が変わるのですが、アドルノの本にこんな話が。
「マイダネク収容所では囚人を虐殺するために一晩中一斉射撃が続いたが、そのとき親衛隊は、収容所の四隅から巨大拡声器で、ワーグナーの『ジークフリート』を流し続けたという。直接は近くの住人に銃声を聞かれないようにするためである」
これは3.11で、津波到達の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけ続けた町職員のお話とスピーカーを中心にして対照的な出来事ですね。恣意的にスピーカーを中心にして語っちゃうのはかなり不謹慎なのですが、スピーカーという道具について考えさせられます……

プロフィール

Abbe Gelinek

Author:Abbe Gelinek
DAC:HEGEL HD25
AMP:HEGEL H80S
SP:KEF Reference 1/TangBand W8-1808 BS/Fostex T90A+Dayton AMT2-4+Fostex FW168HR BS+Fostex CW250A/
CDP:TEAC PD-H600
HPA:nuforce iconHDP
HP:AKG K701/AKG K601/SENNHEISER HD650
POWER:KOJO TECHNOLOGYAray MKII

にほんブログ村

オーディオ ブログランキングへ

なんかランキングっぽいやつ

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。