2016/03/17
人類史の後でスピーカーは存在しない。
私は電話が苦手です。そもそも人と会って話すのも苦手な方ですが、電話となるともう次元が違いますね。とたんに頭が回らなくなって言葉が出てこなくなります。電話嫌いから携帯も持つのも嫌で、できるかぎり避けていました。お陰でスマホとかもどういう装置なのかいまいちよく分かりませんw
いきなりどうしてそのような告白をしたのかというと、そうです、電話の受話器こそがスピーカーの始祖なんですね。御存知、グラハム・ベルの1876年の発明です。(定義を下げるとモールス信号の音響器や、蓄音機の拡声部、伝声管、聴診器、補聴器、メガホン、チャイムなどがあるようです。)
電話嫌いなのにスピーカー好きというのはおかしいのではないかと言う話ですが、そもそも道具としてスピーカーと電話は違うから関係ないのではないか、とも思われます。
電話は苦手
スカイプはまあまあ苦手
スピーカーは好き
ヘッドホンはまあまあ好き
音楽は好き
レコードはまあまあ好き
オーディオは好き
PCオーディオは好き
生演奏はまあまあ好き
家でライブ映像を見るのは好き
好き嫌いを細かく仕分けてみて気づいたのですが、私はCD時代より今のPCオーディオの時のほうが気持ちよくたくさんの音楽を聴けてる気がするということです。
何がいいたいかというと、音楽の聴くスタイルは日々、技術によって変わっていて、同じ音楽を聴くという行為でも人によって好きなスタイルは変わってくるんだなあ、と。
ですので、今それほどオーディオが好きでない人も、新しい聴き方、スタイルを試すうちにオーディオに興味を持ってくる可能性があるということです。
みなさん、いろいろ試しましょう。
話は戻りますが、現代のスピーカーの話をするのならやはり、パワーとプリとが分かれているように、通信機器ともレコードとも分けて考えるべきでしょう。そうした場合スピーカーの単純な機能としては、電気信号を音に変換することですね。
こういった葉っぱがスピーカーになると言う事例があるようですが、この場合もラジオの電波塔ありきなので、スピーカー単体が鳴っているとは言えません。
前回の投稿の『人類史の後で、スピーカーについて語ることは崇高であるか』というタイトルは、アウシュヴィッツと3.11との絡みで無理やり付けた感じですが、この荘厳な問題は成立し得ないと結論づけてよいでしょう。
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